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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2351号 判決 1969年2月10日

原告 清野栄子

右訴訟代理人弁護士 畠山国重

同 鍵尾丞治

被告 渋谷信用金庫

右訴訟代理人弁護士 馬場正夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

<全部省略>

理由

原告が訴外会社に対し原告主張の債務名義を有し、他方訴外会社が被告に対し原告主張のように本件預託金返還請求権を有するところ、原告が右の債務名義に基づく強制執行として原告主張の債権差押及転付命令により本件預託金返還請求権を差押え各つその転付を受けたこと以上の各事実は当事者間に争がない。これらの事実によると原告は本件預託金返還請求権を取得したものと考えられるところ、被告は本件預託金返還請求権は原告のなした右強制執行の前に相殺により消滅している旨抗弁する。よって被告の抗弁について考察する。<証拠>によれば、被告は昭和四一年六月二五日訴外会社に対し手形貸付の方法で一四〇万円を弁済期同年八月二六日と定めて貸付け、その後弁済期を同年九月五日に延期した事実を認めることができる。又訴外会社が昭和四一年九月一六日支払停止のため銀行取引停止処分を受けたことは当事者間に争がない。<証拠>によれば、銀行取引停止処分の猶予を得るため手形の返還銀行が東京銀行協会に提供する異議申立提供金はその猶予を受けた者が別口の不渡発生により銀行取引停止処分に付された場合には異議申立銀行に返還されるものであることを認めることができ、訴外会社が昭和四二年九月一六日に受けた銀行取引停止処分は右の場合に当ると認められるので、本件預託金をもって被告が訴外会社のために不渡処分異議申立をなして東京銀行協会に提供した金員も同協会から被告に返還されるべきところ、<証拠>によれば被告は昭和四一年九月一六日以後間もなく東京銀行協会から右の異議申立提供金百万円の返還を受けた事実を認めることができる。従って、右の返還の時に本件預託金返還請求権についてもその履行期が到来したものということができる。ところで<証拠>によれば被告は、昭和四一年一〇月七日付内容証明郵便をもって訴外会社に対し前記一四〇万円の貸金債権をもって本件預託金返還請求権を対当額において相殺する旨の意思表示をなし、右郵便が翌八日訴外会社に到達した事実を認めることができる。以上の抗弁事実によれば本件預金返還清求はその弁済期の到来した昭和四一年九月一六日以後間もない時に遡って前記相殺により消滅したものと考えられるところ、原告は、被告のなした相殺の意思表示は無効である旨再抗弁するので、つぎに原告の再抗弁について考察する。原告は本件預託金返還請求権は信託財産であって相殺できない旨主張するところ、原告の主張する信託という法律関係を認め得るか否かを別としても本件預託金返還請求権は訴外会社の被告に対する債権であってこれが原告主張の信託財産に属するとは理解し難い(原告主張の信託関係を前提とした場合信託財産として考え得るのは被告の東京銀行協会に対する異議申立提供金の返還請求権であって、この債権が信託預託者である被告の信託財産に属さないところの東京銀行協会に対する債務のために相殺されることが許されないということが考え得るにすぎないのである)。原告の主張はその理由がない。

つぎに原告は本件預託金に関する訴外会社と被告の法律関係は委任であって被告主張の相殺は委任の目的に反し許されない旨主張する。しかしながら本件預託金の返還が被告のなすべき委任事務の処理であるとしてその債務を相殺によって消滅させるということは原告の主張するように委任事務の処理を不能にすることではなく反対債権(自働債権)をも同時に消滅させることによって履行があったと同一の効果を生じさせるものであって委任の目的といささかも反することではない。原告の主張は独自の見解に属し採用し難い。つぎに原告は、相殺にはその前提条件として、将来相殺により債権債務を清算することができるという合理的な期待が存在しなければならず、且つその合理的な期待というものは債権債務の発生するときから存在していることが必要であるところ、本件相殺にはその前提条件が欠けている旨主張する。しかしながら、相殺をなし得る者が有していると思われるところの将来相殺によって債権債務を清算することができると合理的に期待し得る立場というものは、原告の主張する銀行の貸金債権と預金債権のように債権債務成立の当初から将来の相殺が予想されるような場合に限らずたまたま生じた債権によって将来の相殺が予想されるに至ったような場合でも原告主張の合理的期待が存在するということができるのであって被告が本件預託金返還債務を負うことになった結果その前に生じていた一四〇万円の本件貸金債権をもって本件預託金の返還債務を現実に履行することに代えようという期待を有するに至ったものといえるのであり、本件相殺においても原告主張の相殺の前提条件にかけるところはない。原告の主張は採用し難い。

つぎに原告は本件預託金返還請求権については昭和四一年七月一一日から同年八月一〇日までの間に原告によって仮差押がなされており且つ仮差押当時においては相殺適状になかったのであるから本件相殺の適否は両者の弁済期の先後如何によって定まるところ、本件預託金返還請求権の弁済期は預託のとき既に到来しているから自働債権である被告の貸金債権よりも先に弁済期が到来していることとなり、後に弁済期の到来する右貸金債権をもって相殺することは許されない旨主張する。そこで原告の右再抗弁について考察する。本件預託金返還請求権について原告主張の日時その主張のように仮差押がなされたことは当事者間に争がない。ところで右の仮差押当時においては未だ相殺適状になかったのであるから、被告が本件相殺を有効になし得るためには、被告の訴外会社に対する一四〇万円の本件貸金債権の弁済期が本件預託金返還請求権の弁済期よりも早く到来するか少なくとも同時に到来することが必要である。この点について原告は、本件預託金返還請求権の弁済期は預託のときに既に到来しているものである旨主張する。成立に争のない乙第五号証の一乃至三によれば不渡処分の猶予を得るための異議申立提供金は右の猶予を得くべき者が不渡処分を受けることもやむを得ないものとしてその返還を求めるならば返還されるものであることを認めることができるので、そのようにして異議申立提供金が返還された場合には預託金も亦返還されることとなるものということができる。この限りにおいては預託金の預託者は不渡処分を覚悟すればいつでも預託金の返還を求めることができるわけであるけれどもそのことは反面において不渡処分の猶予を得ようとする限り異議申立提供金の返還は求められない筋合となるのであり現実に異議申立提供金が返還された時に預託金の返還も求められると解すべき以上預託金返還請求権の履行期が預託とともに到来していると考えることはできない。預託することは異議申立により不渡処分の猶予を得んとすることであって不渡処分もやむなしとすることとは反対のことである。本件預託金返還請求権の履行期に関する原告の主張は独自の見解に属し採用し難い。本件預託金返還請求権の履行期は本訴請求原因に対する説明において述べたように本件異議申立提供金が現実に被告に返還された時、具体的には昭和四一年九月一六日以後間もない時であって被告の訴外会社に対する本件貸金債権の弁済期である昭和四一年九月五日の後である。従って本件仮差押は本件相殺の妨げとなるものではなく原告の再抗弁はその理由なきものである。

以上の次第で原告の再抗弁はすべてその理由がなく、本件預託金返還請求権は原告が転付を受ける前に相殺により消滅したものである。被告の抗弁はその理由がある。よって原告の本訴請求はその理由がない。<以下省略>。

(裁判官 中田早苗)

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